山形駅周辺で無理なく徒歩で行けるパワースポット6選。
前回の里之宮湯殿山神社に続き、御由緒、ご利益、境内の様子をご紹介する第四弾。今回は豊烈神社をご紹介!
- ①鳥海月山両所宮(ちょうかいがっさんりょうしょぐう)
- ②山形縣護國神社(やまがたけんごこくじんじゃ)
- ③里之宮 湯殿山神社(さとのみや ゆどのさんじんじゃ)
- ④豊烈神社(ほうれつじんじゃ)
- ⑤諏訪神社(すわじんじゃ)
- ⑥六椹八幡宮(むつくぬぎ・はちまんぐう)
豊烈神社の御由緒とご利益
豊烈神社の創建は文政4年(1821)。
江戸幕府の老中水野忠邦(ただくに)が、当時の居城である浜松城(静岡県浜松市)の城内に、藩祖水野忠元を祭神として社殿を建立したことが始まりとされます。
忠邦は、歴史の教科書で有名な「天保の改革」(1841年-1843年)を行った人物。
天保の改革は、いわゆる緊縮財政と飢饉対策で、娯楽などの贅沢禁止!農民は江戸に来るな!帰れ!という強引なやり方。
結果的に庶民を苦しめ、追われるかたちとなって、弘化5年(1848)に、家督を譲った忠邦の息子、水野忠精(ただきよ)が山形藩移封(要は飛ばされた)。豊烈神社も山形城の2の丸付近に遷宮されます。
その後幕末の戊辰戦争で、山形藩は反政府軍となり敗戦、明治3年(1870)忠精の息子、水野忠弘(ただひろ)は、朝日山藩(現在の滋賀県長浜市)に移封となり、豊烈神社は下総山川(現在の茨城県結城市大字山川)に遷座します。
明治13年(1880)に旧山形藩士達が旧藩主を偲び、山川にある豊烈神社の分霊を勧請し現在地に社殿を造立、明治41年(1908)に近隣にあった八坂神社と稲荷神社を合祀し、大正2年(1913)には山川の本社も、今の地に遷座併合しています。
元は静岡県にあった水野家を祀った神社が、水野家が山形藩主となった事で山形の地に。歴史の深さに驚きでした。
ご利益は以下の主祭神が祀られているので、オールマイティ。
【素盞雄尊(すさのおのみこと)】
厄除け、水難除け、病難除け、火難除け、五穀豊穣、文学・学問上達、縁結び、開運
【宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)】
五穀豊穣、海上安全、厄除開運、農業、漁業、衣食住の諸産業、開運招福、厄除け
【大山祇神(おおやまづみのかみ)】
農産、山林、鉱山業守護、漁業、航海守護、商工業の発展、商売繁昌、試験合格、家庭平安、安産、厄除け
豊烈神社を散策
境内に入ってまず目に入るのが、水野三郎右衛門元宣の銅像です。
戊辰戦争では、水野忠精、忠弘親子は京都で軟禁状態になり、藩主不在の中、指揮を取ったのが、水野三郎右衛門元宣。敗戦後最期は全ての責任を取り処刑されます。
豊烈神社には、元宣他、戊辰戦争で戦死した22名のが合祀されています。
山形出身者として、山形の為に戦って散った英霊達に感謝しながら参拝。
豊烈神社の御朱印
御朱印は拝殿右の社務所でいただけます。常に神社の方が居るわけでなく「留守にしてます」という張り紙が貼ってある事があるので、留守の時は時間をあけてから再度訪れてみてください。
御朱印は書き置きタイプ。何種類かありましたが、ゴールドの見た目で1番神々しい、水野三郎右衛門元宣の銅像再建記念の御朱印を選びました。
豊烈神社へのアクセス
山形駅からは徒歩約10分。ちょっとした空き時間でも、参拝できる範囲です。という事でこちらは徒歩一択!
まとめ
最後の山形藩主の水野家が祀られる神社豊烈神社。戊辰戦争の戦死者も合祀されているので、当時の戦乱の中、山形を守った方々に感謝しつつお参りしましょう。
今回は「【2023年最新】山形駅周辺をお散歩で巡るパワースポット6選!第4回豊烈神社」をお送りしました。
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