東京メトロスタンプラリー完全制覇の銀座線編。今回は全ての日本の国道の起点日本橋駅。駅名の由来から、駅の歴史とスタンプの場所。名所をご紹介します。
日本橋駅の歴史を紐解く
駅名「日本橋」の由来
日本橋の駅名の由来は、「そらぁ近くに日本橋があるからだろ?」なんですが、それでは元も子もないので、色々調べてみたところ、日本橋をめぐって意外な事実が!
なぜ日本橋と呼ばれるようになった?
まず、なぜ橋の名前が日本橋なのか。次の3つの説があります。
①日本橋は江戸の中心にあり、五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の起点だから。
②日本国中の人が集まって架けたから。
③東の海から朝日が昇るのを望めるから。
諸説あるということは、特にこうしよう!と決めた名前ではなく、なんとなくそう呼ばれたからなんでしょうね。今なら①が一番しっくりくるでしょう。
日本橋川にかけられた橋「日本橋」なぜ橋名が川の名前に?
「日本橋」の地名は日本橋川に架けられた橋の名前に由来するのですが、普通は〇〇川橋というように、川が先にあって橋は後からかけるものなので、川ありきの橋名となるのが普通ですが、なぜ「日本橋川」と橋ありきの川名なのでしょうか?
理由はそのままズバリ日本橋が架けられた後に川になったからでした。では川になる前はなんだったのでしょう?
日本橋川の前身「平川」を堰き止めてできた「飯田堀」
徳川家康が江戸に移り、1603年に江戸幕府を開いたのは有名な話ですが、天下普請(てんかぶしん)と呼ばれる土木工事事業が行われました。
その中で、日本橋川の前身である平川(現在の神田川上中流)の三崎橋から堀留橋まで(下図参照)が埋め立てられ、堀留(川を上流から埋めていき、下流部を埋め残し水路としたもの)となったことから、平川は川ではなくなり、飯田堀、飯田川とも呼ばれていました。
日本橋ができたのは、幕府ができたのと同時期の1603年ですが、当初川にかけた橋だったはずが、川ではなくなってしまったわけです。
堰き止めた後、下図の赤線に神田川を掘り隅田川へ流すように、流路を変えています。
なぜ平川を堰き止め流れを変える必要があったのか?
江戸の繁栄のためには、まず飲み水から。しかし元々東京湾と直結していた平川は、現在の江戸川橋あたりまで海水が遡上して飲料水に適さず、また沿岸の井戸も塩分の混じった水になってしまっていました。平川の堰き止めと神田川を作ったのは、江戸市中の飲料水確保のためでした。
当ブログ内の江戸川橋駅の記事で、神田川上水の事を紹介していますので、そちらもどうぞ。
堀留から再び川へ復活
1903年(明治36年)に、埋め立て区間を再び掘り、神田川と繋げて、神田川の派川(はせん)として再び川として復活したところで、日本橋川と呼ばれるようになり、今に至るわけです。
日本橋川の前身「平川」も流路を変えられていた
ここで更に、平川についても調べていくと、平川も流路を変えられた歴史が!
元々平川は、下図のように、真っ直ぐ東京湾に注ぐ川でした。
江戸徳川幕府が開かれるはるか昔の室町時代1457年(長禄元年)。武将として学者として、一流、特に築城の天才と言われた太田道灌(おおたどうかん)の手によって、江戸城が築城された際、今の日本橋川の位置に近い流れに変えられていました。
日本橋を調べていくうちに、そもそも江戸城を作ったのは家康では無い!というところまでいきつきました。てっきり江戸幕府が開かれるまでは、江戸は何もない農村だとばかり思っていたので、今更ながら驚きでした(^_^;)
日本橋駅開業の歴史
日本橋駅は、銀座線の他、東西線と都営地下鉄浅草線が乗り入れています。
1932年(昭和7年)12月24日、東京地下鉄道(後に営団地下鉄(後の東京メトロ)に譲渡)の駅が開業したのが始まりです。
1963年(昭和38年)2月28日、都営地下鉄1号線(後の浅草線)の江戸橋駅開業。都営の方は当初は日本橋駅ではありませんでした。
1967年(昭和42年)9月14日、営団地下鉄(後の東京メトロ)東西線開業。営団日本橋駅と都営江戸橋駅が乗換え駅となります。
1989年(平成元年)3月19日、都営地下鉄浅草線の江戸橋駅を日本橋駅と改称し、今に至ります。
日本橋駅スタンプ攻略法
スタンプは改札外。A6番出口付近にあります。
駅構内図ではこの辺り。3路線乗り入れで広大なので、スタンプのあるA6番出口付近を拡大しました。銀座線の浅草寄り、日本橋交差点改札から出て左手にあります。
まずは日本橋交差点改札を目指します。
日本橋交差点改札を出て矢印に従って左手を向きます。
少し進むと、奥の方にスタンプ発見!
スタンプの取得方法は、【2022年】目指せ完全制覇!東京メトロスタンプラリーの進め方をご覧ください。
日本橋だけじゃない!江戸の名残を巡る散歩道。日本橋駅周辺の遺跡3選。
日本橋駅周辺は、江戸中心地だった事を象徴するように、江戸の遺跡を示す案内板が多数あります。巡り時代順次更新していきます。
まとめ
日本橋の由来は、日本の中心、日本中から集まった人が作った橋だから、東の海から朝日が昇るのを望めるから、と諸説あり。
日本橋がかかる日本橋川は元々は平川で、一度堰き止められてから、再び川に戻った経緯あり。元を辿ると平川も流れを変えられており、変えたのは江戸城を建てた太田道灌で、徳川家康が江戸城を建てたのではないという事実!
日本橋駅周辺の江戸史跡は巡り次第順次更新しますので乞うご期待!
今回は、【2022年】東京メトロスタンプラリー完全制覇!銀座線日本橋駅を徹底攻略、をお送りしました。
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