【2022年】東京メトロスタンプラリー完全制覇!日比谷線小伝馬町駅を徹底攻略

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東京メトロスタンプラリー

東京メトロスタンプラリー完全制覇の日比谷線編。今回は小伝馬町(こでんまちょう)駅。駅名の由来から、駅の歴史とスタンプの場所。名所をご紹介します。

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小伝馬町駅の歴史を紐解く

駅名「小伝馬町」の由来

小伝馬町(こでんまちょう)は江戸最古の町とされる日本橋大伝馬町小伝馬町(東京都中央区)の一つ。幕府の人や物資の運送を取り仕切る「伝馬役」(でんまやく)が住んでいたのが、町名の由来とされています

伝馬制度

伝馬とは江戸時代の制度で、人や荷物を馬に乗せ、次の宿駅や目的地まで運んでいく制度のことで、より多くの馬を準備していたほうを大伝馬町、少ないほうを小伝馬町と名付けられました。

伝馬役は、原則1つの宿場ごとにそれぞれ義務付けされており、A村からC村に物資を運ぶ際、A村の宿場→B村の宿場の間は、A村の人馬を提供し、B村→C村の宿場間はB村の人馬を提供していく、というリレー方式でした

1人で通しで運ぶのではなく区間ごとに運ぶ担当を分けてリレーする、駅伝のルーツがこの伝馬制とされています

伝馬制がルーツとされる駅伝

大伝馬町では家康の命を受けた名手・馬込勘解由(まごめかげゆ)が伝馬役として活躍し、馬込家が代々伝馬役を勤めました。また、隣接する「馬喰町(ばくろちょう)」にはその馬の仲介業者が住んでいました。

小伝馬町、大伝馬町、馬喰町の位置関係

小伝馬町駅開業の歴史

小伝馬町駅は日比谷線のみ。上の地図のように、JR総武快速線と交差していますが、駅はありません。

1962年(昭和37年)5月31日、営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の駅として開業しました。

当ブログの霞ヶ関駅の投稿(【2022年】東京メトロスタンプラリー完全制覇千代田線編霞ヶ関駅)でも書いている、1995年(平成7年)3月20日に発生した地下鉄サリン事件において、小伝馬町駅では、一般の乗客が車内に撒かれたサリンをホームに蹴り出した結果、ホームで待っていた乗客などが多数死傷し、本事件で最も多くの犠牲者が出た駅(当駅では死者4人、重軽傷者1,600人程度)となってしまった暗い過去を持ちます。

小伝馬町駅駅名標
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小伝馬町駅スタンプ攻略法

スタンプは改札外本町方面改札付近にあります。

小伝馬町町スタンプはここだ!

駅構内図ではこの辺り。本町方面改札は北千住方面側にあります。

小伝馬町駅スタンプの位置

まずは本町方面改札を目指します。

本町方面改札

改札を出るとすぐにスタンプ発見!改札口を間違えなければ、難易度はかなり低めです。

スタンプ発見!
小伝馬町駅スタンプ

スタンプの取得方法は、【2022年】目指せ完全制覇!東京メトロスタンプラリーの進め方をご覧ください。

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江戸時代の小伝馬町は牢獄の街!跡地を巡る名所巡り3選

小伝馬町は江戸時代、伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)と呼ばれる、未決囚を収監し死刑囚の刑を執行する拘置所に近い施設がありました。

伝馬町牢屋敷の位置関係

①伝馬町牢屋敷跡に作られたお寺「大安楽寺(だいあんらくじ)」

伝馬町牢屋敷は1875年(明治8年)5月に市ヶ谷(市谷監獄)へと移ったものの、跡地は処刑場跡であることが嫌われ、荒れ果てたままでした。

1872年(明治5年)この地に燐火(青い火の玉)が燃えるのを見た五大山不動院の住職であった大僧正の山科俊海は、処刑場で亡くなった者たちを慰霊せんと勧進(寄付を募る)し、1875年(明治8年)に大倉喜八郎、安田善次郎らの寄進を受け創建されたのが大安楽寺です。寺名の大安楽寺の「大」は大倉、「安」は安田の名に由来します。

大安楽寺外観(小伝馬処刑場跡)
小伝馬牢井戸跡
弁財天
延命地蔵尊
本堂

②吉田松陰終焉の地「十思(じっし)公園」

大安楽寺の向かい側、こちらも伝馬町牢屋敷跡地にある十思(じっし)公園。ここには、安政の大獄で捉えられ処刑された幕末の思想家吉田松陰(よしだしょういん)終焉の地の碑があります。

十思公園案内板
十思公園
牢獄の石垣発掘の案内板

公園内で目を引くのは、都の文化財に指定されている「石町時の鐘」です。案内板によると、この時の鐘は宝永8年(1711年)に鋳造されたもので、昭和5年(1930年)にこの地に設置されたものです。

石町時の鐘

そして吉田松陰終焉の地をしめす碑。ここで吉田松陰とはどんな人物か、少し紐解いてみます。

吉田松陰終焉の地の碑

吉田松陰(文政13年8月4日〈1830年9月20日〉- 安政6年10月27日〈1859年11月21日〉)は、江戸時代の武士(長州(現山口県)藩士)、思想家で、明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた人物です。わずか29歳という若さで、伝馬町牢屋敷にて処刑されました。

吉田松陰

処刑された原因となったのは、安政5年に大老となった井伊直弼が六月にアメリカと調印した日米通商条約に反対する人々を投獄し罰していった安政の大獄によるものです。

井伊直弼

なぜ反対する者が多かったのかというと、簡単に言うと、天皇の許可を得ず勝手に調印した点、アメリカ有利の条約であった点に起因します。

アメリカが有利な主な点とは

  • アメリカ人が犯罪を犯した場合、日本の法律で裁けない
  • 関税はアメリカ主導で決めるため、安いアメリカ製品が大量に入ることでの国内産業への打撃

言わばアメリカの言いなりになる条約でした。この悪政を行った井伊直弼も、安政7年3月3日( 1860年3月24日)に桜田門外ノ変にて暗殺されます。

桜田門外ノ変で暗殺される井伊直弼

井伊直弼の墓は、世田谷区にある「豪徳寺」にあります。詳しくは当ブログ内の「【2022】お寺回りで金運UPのご利益にあやかろう! 招き猫発祥の地「豪徳寺」に行ってみた。」をご覧ください。

まるで、2022年7月8日に発生した、安倍晋三元総理暗殺を彷彿とさせる事件です。因果応報とはこのことか?

③小学校を再利用。中央区の共立複合施設「十思スクエア」

十思スクエアは公園の隣にある公共複合施設で、1928年(昭和3年)に竣工した旧中央区立十思小学校の校舎を再利用しています。東京都選定歴史的建造物の一つです。

昭和初期のモダンな建物が目をひきます。

十思スクエア

何度か登場する「十思(じっし)」とは、中国の歴史書『資治通鑑(しじつがん)』に収録されている唐の政治家、魏徴(ぎちょう)の言葉で次の十の教えとのこと。

  • 欲しいものがあっても、多くを望まないことを思う。
  • 物事を行う時には、度を越さないようにすることを思う。
  • 立場や地位が高くても、控えめな態度をとることを思う。
  • 十分満足な時には、むしろ減らすようにすることを思う。
  • 楽しみを味わう時には、程よく控えめにすることを思う。
  • 遊び暮らしていると、身を滅ぼしてしまうことを思う。
  • 正確な情報を得るには、周囲の意見をよく聞くことを思う。
  • 悪口を憎むよりも、自分の言動を正しくすることを思う。
  • 優れた功績をあげても、必要以上に褒めないことを思う。
  • 過ちを罰する時には、感情的にとがめないことを思う。

とどのつまりは、謙虚に行きよ!ということですね。

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まとめ

小伝馬町の由来は、江戸時代に人や荷物を馬に乗せ、次の宿駅や目的地まで運んでいく伝馬制度の下、準備してる馬の数が少ない方の街だったから。多い方は大伝馬町。

また小伝馬町は、伝馬町牢屋敷があり、かの偉人吉田松陰も収監され、処刑された場所。

教科書止まりになりがちな日本史の中で、幕末を肌で体感できる小伝馬町を散策してみてはいかがでしょう。

今回は、【2022年】東京メトロスタンプラリー完全制覇!日比谷線小伝馬町駅を徹底攻略、をお送りしました。

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