【2023年】東京メトロスタンプラリー完全制覇!有楽町線麹町駅を徹底攻略

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東京メトロスタンプラリー

東京メトロスタンプラリー完全制覇の有楽町線編。今回は麹町(こうじまち)駅。駅名の由来から、駅の歴史とスタンプの場所。名所をご紹介します。

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麹町駅の歴史を紐解く

駅名「麹町」の由来

麹町の由来はその名の通り、麹(こうじ)を作っていたから。

麹とは、蒸した米や麦、大豆などに麹菌を付着させ、 繁殖しやすい温度、湿度などの条件下で培養したもので、味噌󠄀の発酵と熟成に欠かせないものです。

麹町は、1590年(天正18年)、徳川家康が江戸城に入った直後に開かれた町で、麹(こうじ)を造る家が数戸あったとの事で、付近の尾張藩麹町邸跡などで麹室が発掘されています。

他にも、町内に小さな路地「小路(こおじ)」が多かったためという説もあります。

麹町駅開業の歴史

麹町駅は、有楽町線のみ乗り入れています。

1974年(昭和49年)10月30日、営団地下鉄(現東京メトロ)有楽町線の駅として開業し、現在に至ります。

麹町駅駅名標
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麹町駅スタンプ攻略法

スタンプは改札外6番出口付近にあります。

麹町駅スタンプはここだ!

駅構内図ではこの辺り。6番出口は和光市方面の番町方面改札を抜けた先にあります。

麹町駅スタンプの場所

まずは番町方面改札を目指します。

番町方面改札を目指す
番町方面改札

改札を抜け、右手の6番出口に進むとスタンプ発見!

右手の6番出口方面に進む
麹町駅スタンプ

スタンプの取得方法は、【2022年】目指せ完全制覇!東京メトロスタンプラリーの進め方をご覧ください。

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文化人ロード「番町文人通り」で聖地プレート探し

麹町大通りと大妻通りをつなぐ通りは、通称「番町文人通り(ばんちょうぶんじんどおり)」とよばれています。

番町文人通り(赤線)と案内プレート位置
番町文人通り案内板


明治から昭和にかけて、多くの作家、文学者が番町麹町界隈に住んでいたことから名付けられましたが、なぜ集まったのかというと、昔も今も麹町界隈に多数の出版社がある為で、作家活動に何かと便利なこの地に作家達が集まったのでした。


番町文人通りは約1キロ。作家達の旧居跡には、目印の案内プレートが設置されているので、ちょっとしたスタンプラリー気分でお散歩しながらプレート探しをしてみました。

案内プレート位置①〜⑤
案内プレート位置⑥、⑦

①島崎藤村旧居跡

1箇所目の案内プレートは、明治から昭和にかけて活躍した詩人、小説家、島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年(明治5年)2月17日- 1943年(昭和18年)8月22日)の旧居跡です。

島崎藤村

麹町大通り側から番町文人通りを進んで約2分。通りから左手に入った先にあります。

矢印の方向から左へ
島崎藤村旧居跡
旧居跡のプレート

②有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡

2箇所目は有島武郎(ありしま たけお)・有島生馬(ありしまいくま)・里見弴(さとみとん)兄弟の旧居跡です。

3人のプロフィールは以下の通り。

小説家、有島武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日-1923年(大正12年)6月9日)

有島武郎

画家、有島生馬(ありしま いくま、1882年(明治15年)11月26日- 1974年(昭和49年)9月15日)

有島生馬

小説家、里見 弴(さとみ とん)、1888年(明治21年)7月14日-1983年(昭和58年)1月21日)

里見弴
案内プレート位置
有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡案内プレート

③泉鏡花旧居跡

3箇所目は、泉鏡花(いずみきょうか、1873年(明治6年)11月4日-1939年(昭和14年)9月7日)の旧居跡。明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家です。

泉鏡花

②有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡案内プレートの場所から左折して少し進むと、泉鏡花の案内プレートがあります。

②案内プレートの位置から左折
矢印の位置に案内プレート発見!
泉鏡花旧居跡
泉鏡花旧居跡案内プレート

④菊池寛旧居跡

4箇所目は、菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日-1948年(昭和23年)3月6日)の旧居跡。明治から昭和初期にかけて活躍した小説家、劇作家、ジャーナリストです。

菊池寛
菊池寛旧居跡
菊池寛旧居跡案内プレート

⑤明治女学校跡

5箇所目は、明治女学校(めいじじょがっこう)跡。1885年(明治18年)から 1909年(明治42年)まで存在したキリスト教主義の女子中等教育機関で、麹町には1892年から1897年まで存在していました。①で紹介した島崎藤村も教壇に立った事があるそうです。

明治女学校跡
明治女学校跡案内プレート

⑥与謝野鉄幹・晶子旧居跡

6箇所目は、与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻の旧居跡。2人のプロフィールは次の通り。

歌人、与謝野 鉄幹(よさの てっかん、1873年(明治6年)2月26日-1935年(昭和10年)3月26日)。

与謝野鉄幹

歌人、作家、思想家、与謝野 晶子(よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 – 1942年(昭和17年)5月29日)。

与謝野晶子
案内プレートの場所
与謝野鉄幹・晶子旧居跡
与謝野鉄幹・晶子旧居跡案内プレート

⑦川喜田半泥子旧居跡

7箇所目は、陶芸家、川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年1(明治11年)11月6日-1963年(昭和38年)10月26日)旧居跡。元々実業家でしたが、50歳を過ぎてから本格的に作陶するようになったという異色の経歴の持ち主。

川喜田半泥子
川喜田半泥子旧居跡
川喜田半泥子旧居跡案内プレート

⑧瀧廉太郎旧居跡

番町文人通りから、一本南に進んだ番町中央通りの入り口に、荒城の月などでお馴染みの作曲家瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)8月24日-1903年(明治36年)6月29日)の旧居跡があります。

瀧廉太郎旧居跡の場所
瀧廉太郎
瀧廉太郎旧居跡
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まとめ

麹町の由来は、その名の通り麹を作っていたから。

多くの作家が住んでいた番町文人通りを、旧居跡巡りをながら散歩してみるのも、ちょっとしたスタンプラリー気分を味わえて楽しいですよ。麹町に行く際はぜひ寄ってみてください。

今回は、【2023年】東京メトロスタンプラリー完全制覇!有楽町線麹町駅を徹底攻略をお送りしました。

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コメント

  1. akiko より:

    待っておりました。
    私のスタンプは、90個をこの前越えましたが、まだまだですね。
    難関である有楽町線に至ってはなかなか押せていないけど、半蔵門線が制覇になりそうです。
    麴町駅は、スタンプを押したくらいで、散策はしなかったけど、今度は街の中を歩いてみようと思います。
    毎回レポありがとう。

    • ヒロORE より:

      コメントありがとうございます😊
      私もそろそろ100箇所に到達しそうです😌
      有楽町線は池袋から先、和光市までが大変そうです😅

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